物書き

2012年2月 4日 (土)

いただきもの

先週末、生徒のTさんから次のような本をいただいていたので、簡単にご紹介。

前の複雑系の本と同じく、この本もご自分で見つけてきたのだとか。努力と選書眼に頭が下がります。面白そうなテーマですね。Tさんいわく、だからといって著者は極端な動物保護論者ではなく、ふつうに魚を食べるとのこと。まともな研究者でよかった。それはともかく、欧米では最近、動物愛護の観点から、刺身にするときは魚の頭に針を刺して仮死状態にしてからさばくそうですね。回転寿司用のネタを量産する工場でそんな工程がありました。

はい、ではまた潜ります。あと200ページ。半月で終わらせなきゃ。遅れると初校のスケジュール的にも、確定申告的にもまずい。。

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2012年1月28日 (土)

拙訳書また出ました

またまたしばらくぶりですが、やはり今度も宣伝でございます^^)

以下の訳書が刊行の運びとなりました。アマゾンではもう購入できるようです。リアルの一般書店は週明けあたりから並ぶかもしれません。

一万年前に発明された農耕は、人類に進歩と繁栄をもたらしたかに見えて、実はパンドラの箱のごとくあれこれ宿命的な災厄をもたらしていた。その意外な事実の詳細を、遺伝学と考古学と世界を股にかけるフィールドワークによって見事にあぶり出し、これからの人類が存続するための「希望」――パンドラの箱に唯一残ったもの――を探る好著です。訳出中に東日本大震災が起きました。そして訳し終わったとき、この本は震災後の日本に対しても捧げられている気がしました。今の日本人ならだれもが身に積まされ、首肯せざるをえないメッセージがここにあります。興味がありましたらぜひご一読ください。

ちなみに、訳者あとがきに書いた「足を知る」というくだり、つい先日ダボス会議で渡辺謙さんも引き合いに出していて驚きました。やはり日本人なら真っ先に思い浮かぶフレーズなのでしょうね。

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html

以上、ふたたび潜ります。残り260ページ、果たして間に合うのか? いや、間に合わせるのだ。とりあえずイスカンダルへの往路は征した。地球帰還へ向けて波動エンジン全開します。途中でデスラー攻めてくるなよ!

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2012年1月16日 (月)

文庫出ました

新年のご挨拶以来ご無沙汰していますが、今日は宣伝だけ。

1/11に早川書房から以下の拙訳書が刊行されました。

初の文庫化です。2005年にハードカバーで出ていたものですが、同著者の3冊目の邦訳『神は数学者か?: 万能な数学について』が出たこともあって、再び需要を掘り起こすことが決まったようです。黄金比を神秘の数として称える数秘学的な本とはまるで違い、宇宙物理学者の著者ならではの科学的態度で、世に黄金比と言われる芸術作品、建築、自然界の現象などを綿密に検証し、自然の奥処にひそむなにがしかの原理を引き出そうとする意欲作。最後の哲学的議論の章が、内容をふくらませて先述の3冊目の本になっています。2作目の『なぜこの方程式は解けないか?―天才数学者が見出した「シンメトリー」の秘密』とも合わせてどうぞ。

なお、訳者あとがきにも書きましたが、『黄金比はすべてを美しくするか?』で一番びっくりしたのが、ベンフォードの法則。本当に不思議でたまりません。

以上、宣伝でした。相変わらず仕事はがしがしやっています。定型表現の多い図鑑なので1日ほぼ10ページのペースで最近はできるようになったけど、やっと300ページに到達するところで、まだあと350ページもある。残るは1か月。ぱおーん。

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2011年12月15日 (木)

いただきもの紹介

友人の訳者Nさんにできたてのお訳書をいただいたので、紹介します。

最近耳にするようになったエピジェネティクス。従来進化は非常に長い期間をかけて現れるとされていたのが、1世代といった短期間でも変化が現れることがわかってきました。それは、環境によって遺伝子のメチル化のスイッチがオン・オフされることで発現が変わってしまうためだったわけです。このへんの話をきちんと書いた一般向けの本があまりなかったので、これは重宝します。Nさん、ありがとう。あと、エピジェネティクスの語源がepi(後)+genetics(遺伝学)でないことにも気づかせてくれて、それだけでも儲けものでした。epigenesis(後成説)が語源とのこと。

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2011年9月 9日 (金)

いただきもの

ええと、元生徒のKさんから御訳書が届きました。Kさん、ありがとうございます。そして初の単独訳(と初の訳者あとがき)おめでとうございます。

2050年の世界の気候がどうなっているかを、元気候学者の著者が現時点のデータをもとに説得力のある予想をするというもののようです。人間が自然をコントロールできるという幻想は半年前の震災ですっかり破られてしまったので、今こそだれもが謙虚に地球環境問題に向き合えるチャンス。興味深く読めると思います。

カバーイラストのグーデ図法がまたグーですね。

なんて駄洒落をとばしている余裕はないはずなんで、今日はこれだけ。

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2011年5月26日 (木)

いただきもの

またまたご無沙汰しています。〆切までもう少しなので、ブログも放置しつづけていますが、先日、生徒のTさんと編集のKさんから御訳書を頂戴していたので、お礼がてらご紹介。高価な本をありがとうございます。

高価とはいえ、貴重な写真や手稿を交えた内容はまさに大全というにふさわしく、お値段以上の値打ちがありそう。科学と人間の両面からアインシュタイン像を描き出しています。さらに驚くべきは、章末を飾るエッセイを錚々たる面々が書いている点。ホーキングやワインバーグといった物理学の大御所のほか、ノーベル賞受賞者の顔ぶれに混じって、なんと光速変動理論で数年前物議を醸したジョアオ・マゲイジョまで! さらには、SFの巨匠、故クラークまでもが名を連ねているという、豪華絢爛さ。資料価値も高いので、ありがたく永久保存させていただきます。

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2011年5月 3日 (火)

ビンラディンの死に対する日米の反応について

昼前、オサマ・ビンラディン死亡のニュースが突然流れた。米国がついに本当に居場所を突き止めて殺害したのだという。

これに対し、米国の市民からは当然のごとく歓喜の声が上がった。一方、9・11の日本人遺族は「できれば逮捕して真実を語らせてほしかった」「生きて捕まえ、裁判で真相を究明してほしかった」などと複雑な反応を見せている。ここに僕は、災害対応にも現れた日米の気質の違いが表れているように思う。今回の震災後、海外からは危機的事態に見舞われても礼儀正しさや思いやりを忘れない日本人の態度に驚きの声が上がった。確かにこれが米国で起きていたら、商店やガソリンスタンドに粛々と並ぶようなことはなかったのではないか。この集団主義と個人主義、内向性と激昂性の差異が、先ほどのビンラディン殺害への反応の違いを説明するものともなりそうだ。

思えば、かつてこちらの記事でも書いたとおり(http://sake-kinoko-monokaki.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-ae06.html)、原爆を落とされてもアメリカに憎しみを抱かなかったころから、日本人にその気質は醸成されていたのだ。僕の好きなフォークシンガーに沢田聖子さんという人がいるが、彼女が9・11を受けて遺族の感情を唄った『息子からの伝言』という歌に、「深い憎しみが同じ憎しみを生むだけならば、永遠に何も変われない」という一節がある。この気持ちこそが今の世界に必要なのだと心底感じる。報復の連鎖は悲しみの連鎖をもたらすだけで、だれも幸せにはしない。

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2011年4月 3日 (日)

訳書『ミトコンドリアが進化を決めた』修正個所を公開

ありがたいことに、ニック・レーンの前作『ミトコンドリアが進化を決めた』の第10刷増刷が決まりました。そこで、先日自分で参考に読んでいて気づいた修正を反映することにしましたので、本ブログでも公開しておきます。右下の「ウェブページ」の項目をご覧下さい。flightの意味を「逃走」にしたほうが動物全般に当てはまるので正しいと気づいた次第です。

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2011年3月23日 (水)

合掌

ビートたけしさんが、今回の災害について、「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。…(中略)…そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と発言したことがツイッターなどで共感を呼んでいる。

これを読んですぐに、僕にも思い当たるものがあった。大量の人の死を数で考えると思考が停止してしまうということを、以前訳した本ではこう表現していた。少し長くなるが、次に挙げるのは、『感染爆発―鳥インフルエンザの脅威』(マイク・デイヴィス著、共訳)の冒頭の一節だ。訳しながら心にガツンときたのを覚えている。

一九一八年、私の母の弟を含め、四〇〇〇万~一億人もの命を奪ったインフルエンザの大流行があった。このような災厄の時期に、ひとりひとりの苦しみをはっきり思い描くのは難しい。世界大戦や飢饉などの大災害では、死は、われわれの感情で理解できない種レベルの出来事にまで集団化される。その結果、被害者は二度死ぬことになる。彼らの肉体的な苦しみは、ひとりひとりの人格が大惨劇という汚水に飲み込まれてしまうことによって、倍増するのである。フランスの作家カミュは言った。「死んだ人間というものは、その死んだところを見ないかぎり一向重みのないものであるとなれば、広く史上にばらまかれた一億の死体など、想像のなかでは一抹の煙にすぎない」[『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮社)より引用]人は、大勢の人の死を悼むことはできないし、抽象の墓場で泣き叫ぶこともできない。ほかの一部の社会性動物とは違って、われわれには集団の死を悲しむ本能はなく、仲間の死によって自動的に生物学的な連帯感が生じることもない。それどころか、ひどい場合には、ペストや津波、大量殺戮、摩天楼の崩壊などで、ひねくれて、ときに興奮すら覚えて、スケールの大きさに圧倒されたりもする。大災害を悲しむには、まずそれを具体的な人間で表現しなければならない。たとえばユダヤ人の大虐殺も、『アンネの日記』を読んだりホロコースト博物館の痛ましい遺物を見たりするまでは、心底衝撃を受けはしない。それらを読んだり見たりしてから、泣けるようになるのだ。

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2011年3月19日 (土)

ぼんやり思うこと

根拠はないが、この震災が、日本人の意識改革に大きな役目を果たすことになりそうな予感もする。

良いか悪いかはともかく、個人主義から日本古来の集団主義への回帰の流れがいささかでも生じる転換点になる気がするのだ。それは、被災者救済や生活物資の不足による助け合いや和の精神の高まり(を社会が強制する風潮も含む)のみならず、プライバシー保護についてもすでに解消の流れが始まっているようにも思える。じっさい、これまではテレビの映像から通行人の顔や自動車のナンバープレートまでぼかされていたが、今では安否の伝達という現実的な対応から、報道やネットで個人名や顔が隠されることはほぼなくなった。実名公開原則のフェイスブックの広まりも、すでにひと役買っていたかもしれないが。この先どうなるかはまだわからないが、ひとつの転機となるのではないかと考えている。

行きすぎた個人主義によるクレーマーやモンスターペアレントなども減るだろう。ただ、大衆同士の監視の目が厳しくなり過ぎると、窮屈で危険な全体主義へと移行もしかねない。さすがにそれは極端な想像のようにも思うが。

相変わらず、まとまりのない思いを不完全なまま垂れ流してしまったので、なんかとんちんかんなことを言っているかもしれない。でも混乱した状況にある自分自身の正直な姿として記録しておこう。

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