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2011年3月

2011年3月29日 (火)

さらに収穫

土曜日にとれた場所で、月曜日にまたアミガサタケを収穫。今度はばかでかいのも1個混じっている。

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そして本日は、そのばかでかいのを切り分けて、ポタージュスープへ投入。スープは、昨年ドイツ旅行土産でTさんからいただいたもの。きのこ好きの僕のために、マッシュルーム入りのを買ってきてくださったのだが、もったいなくてまだ開けていなかった。

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そして完成。

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きのこの出汁がさらに加わって、おいしゅうございました。

<おまけ>

こんなご時世ですが、先日、新たな訳書が出ました。『ビジュアル版 科学の世界』(ジョン・グリビン編、東洋書林)です。地震に津波、原発災害と、未曾有の出来事が一度に訪れる悪夢を迎えた今こそ、みずからの判断で賢く情報を選び、的確に判断して行動するために、科学の基礎力が問われているのかもしれません。ちょっとお高いですが、全ページフルカラーで、執筆陣も前書きにリチャード・ドーキンス、数学でイアン・スチュアート、物理でジョン・グリビン、地球科学でピーター・ウォードと豪華な顔ぶれ。なにかのおりにさっと調べるもよし、巧みな構成で語られる各分野を総覧するもよし。興味のある方はぜひどうぞ。アマゾンにまだ書影がないので、携帯で撮った写真をば。

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2011年3月27日 (日)

春の足音

暗いニュースがつづくなか、ひさびさに明るいニュースを。

今年初めてのトガリアミガサタケ発見!

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中型菌だが、ほかにもポコポコ出ていて、こんな可愛い幼菌から

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すでに塔の立ったものまで

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なかにはこんな微小菌まで

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合わせて15以上、いや微小菌入れたら数十はあるんじゃなかろうか。場所は去年もこの時期に確認した神社の境内。通称ドコモダケポイントだ。(参照→ http://sake-kinoko-monokaki.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-d4ae.html

それにつけても、塀に沿ったこんな生え方を見ると、やはりアミガサタケはアルカリ土壌を好むという説の信憑性も高く思える。

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そんなわけだが、とりあえず3本だけ収穫。放射能による土壌汚染のため、ただちに健康に被害を及ぼさない許容量として、自己責任のもと食すことにする。しかも念のため、今回は下ごしらえとして一度ゆでこぼしてみた。これでかなりの放射性物質が失われるらしい。調理は明日葉や白菜、白ネギ、ピーマン、ブナシメジの残りとともに基本のバター炒めで。彩りが寂しいので、ミディアムサイズのミニトマトも添えてみました。

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素直にうまい。まったく裏切られない、いつものアミガサタケのうまさだ。あまりにうまいので、そのあと仕事をするつもりなのに、福島は喜多方の銘酒「星自慢」を飲んでしまう。いいんだ、今大変な福島を応援するんだと自分に言い聞かせつつ。天然もののアミガサタケがいつまでこうして食べられるのだろうか、などという不安を抱えることになるとは、まさか去年までの収穫時には考えてもいなかった。いかんいかん、また暗いほうへ思考が傾いている。

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2011年3月23日 (水)

合掌

ビートたけしさんが、今回の災害について、「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。…(中略)…そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と発言したことがツイッターなどで共感を呼んでいる。

これを読んですぐに、僕にも思い当たるものがあった。大量の人の死を数で考えると思考が停止してしまうということを、以前訳した本ではこう表現していた。少し長くなるが、次に挙げるのは、『感染爆発―鳥インフルエンザの脅威』(マイク・デイヴィス著、共訳)の冒頭の一節だ。訳しながら心にガツンときたのを覚えている。

一九一八年、私の母の弟を含め、四〇〇〇万~一億人もの命を奪ったインフルエンザの大流行があった。このような災厄の時期に、ひとりひとりの苦しみをはっきり思い描くのは難しい。世界大戦や飢饉などの大災害では、死は、われわれの感情で理解できない種レベルの出来事にまで集団化される。その結果、被害者は二度死ぬことになる。彼らの肉体的な苦しみは、ひとりひとりの人格が大惨劇という汚水に飲み込まれてしまうことによって、倍増するのである。フランスの作家カミュは言った。「死んだ人間というものは、その死んだところを見ないかぎり一向重みのないものであるとなれば、広く史上にばらまかれた一億の死体など、想像のなかでは一抹の煙にすぎない」[『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮社)より引用]人は、大勢の人の死を悼むことはできないし、抽象の墓場で泣き叫ぶこともできない。ほかの一部の社会性動物とは違って、われわれには集団の死を悲しむ本能はなく、仲間の死によって自動的に生物学的な連帯感が生じることもない。それどころか、ひどい場合には、ペストや津波、大量殺戮、摩天楼の崩壊などで、ひねくれて、ときに興奮すら覚えて、スケールの大きさに圧倒されたりもする。大災害を悲しむには、まずそれを具体的な人間で表現しなければならない。たとえばユダヤ人の大虐殺も、『アンネの日記』を読んだりホロコースト博物館の痛ましい遺物を見たりするまでは、心底衝撃を受けはしない。それらを読んだり見たりしてから、泣けるようになるのだ。

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2011年3月19日 (土)

ぼんやり思うこと

根拠はないが、この震災が、日本人の意識改革に大きな役目を果たすことになりそうな予感もする。

良いか悪いかはともかく、個人主義から日本古来の集団主義への回帰の流れがいささかでも生じる転換点になる気がするのだ。それは、被災者救済や生活物資の不足による助け合いや和の精神の高まり(を社会が強制する風潮も含む)のみならず、プライバシー保護についてもすでに解消の流れが始まっているようにも思える。じっさい、これまではテレビの映像から通行人の顔や自動車のナンバープレートまでぼかされていたが、今では安否の伝達という現実的な対応から、報道やネットで個人名や顔が隠されることはほぼなくなった。実名公開原則のフェイスブックの広まりも、すでにひと役買っていたかもしれないが。この先どうなるかはまだわからないが、ひとつの転機となるのではないかと考えている。

行きすぎた個人主義によるクレーマーやモンスターペアレントなども減るだろう。ただ、大衆同士の監視の目が厳しくなり過ぎると、窮屈で危険な全体主義へと移行もしかねない。さすがにそれは極端な想像のようにも思うが。

相変わらず、まとまりのない思いを不完全なまま垂れ流してしまったので、なんかとんちんかんなことを言っているかもしれない。でも混乱した状況にある自分自身の正直な姿として記録しておこう。

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2011年3月18日 (金)

世の中があまりにも大きく変わってしまった

一週間前の今日、東北関東大地震が起きた。

その規模は、明治以来、観測史上最大とされるマグニチュード9.0。最大震度は7。震源が太平洋沖だったため、東北から関東にかけての沿岸に、場所によっては十数メートルと言われる津波も襲った。いくつもの町が丸ごと壊滅し、水が引いたあとには大火も起きた。遠く離れた市原でもコンビナートで爆発が起き、2、3日燃えつづけた。死者は全体でおそらく1万人以上になるものと予想されている。かろうじて生き延びた被災者も、余震の恐怖に怯えながら、燃料も食料も医薬品も届かぬなか、非常に厳しい生活を送っている。

そこへ、福島第一原発の事故である。運転していた3基は緊急停止したが、津波で水をかぶった緊急用電源が動かず、冷却装置が働かなかった。炉内に滞留した水が燃料棒の発熱で沸騰し、発生した水蒸気や、それが露出した燃料棒のジルコニウムと反応して生じた水素によって内圧が危険なレベルまで上がったため、窮余の策で放射能を帯びた内気の放出に踏み切ったが、水素が空気中の酸素と反応して爆発を起こして建屋などが大破。さらに休止中だった4号炉まで、燃料棒保管プールの水量減によって水素爆発をおこした。結果、チェルノブイリ以来と言われる最悪の放射能汚染が生じ、周辺住民は避難したが、事態は収拾のメドが立っておらず、今も予断を許さない状況にある。

原発停止による電力不足により、関東では14日から計画停電(輪番停電)も始まった。スーパーや電器店では水や保存食や電池のみならず、米やパン、トイレットペーパーやティッシュ、卵、豆腐に納豆まで売り切れた。明らかに、地震・原発パニックが引き起こした見境なき買いだめである。

以上、今の人にはわかりきった話だが、のちのための備忘録として事態をまとめておいた。

それにしても、長いのか短いのかわからない一週間だった。途中で長野や静岡を震源とする震度6級の地震もあったり、刻一刻と悪化する原発の状況が気になったりして、心も体も休まらず、それでいて仕事もしなければという気持ちが空回りして、結局ほとんど仕事になっていない。やばい。だがもう、こんな現実とは思えないほどの大災害を前にして、自分の仕事の意味を見失ってしまい、まるでやる気が出てこない。それでもやらなければならないのだろう。

世間の趨勢もいろいろ変わった。震災当初は、未曾有の規模の悲惨な事態にもかかわらず、暴動も起きずに粛々と指示に従って助け合う日本人に、海外からも称賛と驚きの声が上がった。だがやがて、被災地での物資の不足や関東での停電が起きると、買いだめに対する非難、東電への批判、原発の放射能がもたらしうる健康被害をめぐる意見の対立、自粛ムードの強制など、ネガティブな反応も表面化してきた。

ひとつひとつにコメントする余裕がないので、一点だけ、あまり言われてなさそうな指摘をしておこう。ツイッターでよく、電力需給逼迫のさなかにパチンコ屋を開店しておくとは何事かというつぶやきを目にする。僕も相当電力を食いそうだからまずいとは思うけれど、すべてのパチンコ屋を閉店しろとまでは言えない。パチンコ屋だって商売なのだから、仕事ができなければ収入が入らず、従業員も食べていけなくなるだろう。閉店ではなく、派手な照明を消し、台数も半分だけ稼働するなど、節電モードで開店するとかの手はないだろうか? 危険なのは、災害という非常事態により、被災者支援や生活確保に直接結びつかない仕事が排斥されてしまうということだ。その理屈なら、書籍の翻訳などという僕の仕事も当然矛先が向けられてしまうだろう。それは自分でも少し思ってしまうから、現に仕事の意味を見失っているわけだが。けれども、人は生活に最低限必要なものだけで生きているのではない。どんなに厳しい生活でも、娯楽は必要だし、将来を考えれば、教育や啓蒙もきっと必要な仕事のはずだ。そうは言いながら、あまりにも急激に平和な生活が崩れてしまったものだから、なかなか自分を納得させることができていない。しばらくはつらい気持ちを抱えながら、無理に気持ちを奮い立たせて仕事をすることになりそうだ。

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2011年3月11日 (金)

生存証明です

震度5でしたが、とりあえず無事です。ノートPCにソフトカバーの辞書が落下してキーがふたつ飛んだり、本棚の棚がひとつ崩れたり、本や資料で仕事部屋の床が埋めつくされましたが、人的被害はありません。この場を借りてご連絡。

東北では地震と津波で大変なことになっているようですが、現地の方々のご無事を祈るばかりです。仙台の友人も心配だ。

今日は授業の週ではなかったけれど、都心から多くの人が帰宅できずにいる。はからずも帰宅難民発生時の予行演習となってしまった感さえあるが、せめて今後の都心震災時に生かせますように。

母とも夜になってようやく連絡がついたので、明日の墓参りは中止にした。仕事が手に付かなかったが、風呂に水をためたし、もうあとは地震にかんしては自分にはどうしようもないことだから、やるか。

(追記) だめだ、気仙沼の映像を見てしまったら、もう胸が苦しくて仕事できない。

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2011年3月 6日 (日)

訳書の修正個所を公開しました

たまには真面目な業務連絡を。

昨年末にみすず書房より刊行された拙訳書『生命の跳躍――進化の10大発明』(ニック・レーン著)が、ありがたいことに第4刷発行(3月18日あたりの予定)の運びとなりました。一般科学書としては相当に手ごわいながらも、版を重ねている事実に、ニック・レーン氏の力量の高さを改めて認識。実際内容は、理解が一筋縄ではいかないものの、昆布のように噛めば噛むほど味が出る、すばらしいものがあります。そこがまた訳者泣かせのところなのですが。

一方、読者のなかにはこれを難なく読みこなす方もいらっしゃいまして、先日、ツイッターで知り合った生物系の大学院生の方から、感想とともに一部の記述の事実関係について指摘をいただきました。指摘をくださった方に改めて感謝いたします。そこで、今回の増刷に、指摘を吟味していくつか修正を加えることにしました。そのようなわけで、すでに第3刷までの本をお持ちの方々へ向けて、本ブログでも修正点を公開させていただきます。

右の袖に並ぶ項目の下のほうに、ウェブページという項目があり、そこに「『生命の跳躍』修正個所一覧」というリンクを張りましたので、そこから修正点をリストアップした別のページに飛べます。ご参照のほどよろしくお願いいたします。

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