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2010年5月22日 (土)

教科書のゲーム化はアリか?

仕事が佳境を迎えて結構やばいことになっているが、気になるニュースがあったので、まとまりのない所感をメモ的に残しておく。

「RPG仕立て 小学教科書:ゲーム会社が参入」なる記事が今日の朝日新聞夕刊に載った。

http://www.asahi.com/edu/news/TKY201005220135.html

ゲーム大手のバンダイナムコがロールプレイングゲームのような形式で教科書を作り、文科省の検定にも通って来年から学校で使われるという。

子どもの興味を惹きつける手としてはなかなかいいと思うが、僕はやはり学校教科書にするのはどうかと思う。ただでさえゲームが日常化している子どもに、学習環境までゲームが押し寄せたら、彼らの世界はゲームで埋めつくされてしまう。一番頭が柔軟な時期に、そういう画一的な環境に身を置かせるのが果たしていいことか。いろいろな環境を知ることこそ、彼らの適応力を伸ばすことになるのではないか。

それに、好きなことだけ、楽しいことだけやれるようになって、我慢のできない子が増える懸念もちょっとある。まあ学ぶ内容自体が変わらなければ好きなこととは限らないけれど。

あと、個人的には、子どもの読解力が落ちて日本人のリテラシーが将来的に危うくなり、そうなると読書人口が減って出版不況はますます深刻になるおそれも……。

ツイッターでこの問題を提起したら、Aさんが「イントロとして使うのはアリな気がする」とおっしゃっていたが、それを認めたうえでやはり問題がある。学校の教科書で使うということは、塾などを利用しない子どもはそのイントロだけで終わってしまうことを意味する。イントロ以上に進めるのは、塾などの補助的な教育を利用できる恵まれた子だけになるわけだ。結果、家庭の経済格差がそのまま子どものリテラシーの格差につながる構図がいっそう拡大するような気がする。だから、参考書としてはこの手はアリだが教科書としてはナシだと僕は思う。

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コメント

現状の学校教育現場では、教科書の内容そのものに取りかかれないまま(イントロにも入れないまま)脱落してゆく子供も少なからずいると聞いています。そのような子供を減らすためには、RPG教科書の採用というのも一つの手かと思います。
むしろ、教育格差のことを言えば、既に教育格差が広がっているのが実情です。その点では、日本も「アメリカ並み」になりつつあります。
なので、日本の教育の実情については、以下に教育制度の設計をしてゆくのか、①落ちこぼれを食い止める。②学力の平均レベルの維持・向上。③トップレベル教育の充実。のどこに重点を置き、それを誰が(公教育・公教育での補習的なもの・家庭・塾etc)、どのような形で担って行くべきかを、そろそろ本気で議論すべきだと思っています。

投稿: ふく | 2010年5月22日 (土) 22時21分

ふくさん、その後のツイッターでのやりとりをまとめていただきありがとうございます。そうなんです、医療制度にせよ、裁判員制度にせよ、そして教育制度にせよ、みんな負のアメリカ化が進んでいる気がして本当に悲しく思っていました。

平均を下げないように、現状の教育レベルを維持したうえで、落ちこぼれのために補助的な公的手段(ここならRPG教科書もアリか)を充実させるのが、今できる最善のことかと思います。落ちこぼれにすべてを合わせると、それ以外の子どもの機会を奪うことにもなりかねませんから。

落ちこぼれを促進する家庭環境の問題については祖父母の介入がない核家族化が遠因かもしれないという主張をしたことも追記しておきますね。

投稿: むらさきしめじ | 2010年5月22日 (土) 22時45分

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