« 訂正 | トップページ | リコール »

2008年9月21日 (日)

競争原理

パラリンピックも終わって今さらだが、北京五輪を見たとき気になったことを書いてみたい。

メダルをとった日本選手のコメントに、「子どもたちに夢を与えたい」というのが多かった。女子バレーセッターの竹下が、かつてやはりそんなことを言っていた。確か、自分のような身長でも世界で戦えることを見せて、子どもたちに夢をうんぬんと。一理あると思いながら、いかにも日本的なのかもなあとも思った。

日本では体格のハンディを乗り越えることが子どもたちの憧れになっていると思う。だが、たとえばアメリカでは貧困のハンディを乗り越えることが憧れなので、ちょっとちがう。貧しくて虐げられている黒人は決して体格が劣るわけではない。だから大リーグでもバスケットでも、大型選手の活躍がもてはやされ、子どもたちに夢を与えられるのだろう。

ここに、なにか根本的なレベルでの違いがあると思う。世界と戦うにはアメリカのような夢の与え方が功を奏するのだろう。だけれども、僕の心のなかでは、それは違うという声が響いている。世界と戦うには大型セッターを育てないといけないと思いながらも、だ。

自由競争の原理は、確かにここまで数世紀の歴史をプラスに導いてきた。米国が世界を牽引する絶対的存在となったのも、結局はこの結果に他ならない。「がんばって成果をあげればどんな人も等しく認められる」というのは確かにすばらしい。しかし、その陰で、たくさんの敗者が貧困にあえぎ、人生に絶望しているのも事実だ。貧困から抜け出す夢を追いながら、現実は夢破れた者のほうが圧倒的に多いはず。それが本来の生存競争なのだという声もあるかもしれない。けれども僕は、そんな社会に住みたくはない。それは自分が勝者になる自信がないからでもあるが。

そんなわけで僕は、日本にはそういうアメリカの負の側面を真似してほしくない。たとえばマイケル・ムーア監督の映画『シッコ』で指摘されているように、アメリカには公的な健康保険がないから、民間の保険に入れない貧困者は満足な医療が受けられない。ただでさえ高齢化が進む日本で、不払いで問題になっている国民健康保険制度が破綻したら、同じようなことになってしまうのではないかと不安でならない。

なんか妙に話題が広がって収拾がつかなくなったので、今日はこのへんで。

|

« 訂正 | トップページ | リコール »

物書き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/510116/42551143

この記事へのトラックバック一覧です: 競争原理:

« 訂正 | トップページ | リコール »