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2008年7月28日 (月)

悲しい事件がつづく

ひと月ほど前だったか、インターネットで2ちゃんねるを立ち上げたひろゆきという人が、このところの凶悪な無差別殺人について、そういう犯罪を起こす人を「無敵の人」と呼んでいることを知った。いわく、そうした多くの犯罪者が無職の人であるのは、社会から切り落とされて、もはや守るものがないので何も怖くなくなった人だからというのである。これはなるほどと思った。

確かに、一般の社会人は職を失う、地位を失うなどのおそれがブレーカーの役目を果たして犯罪を抑止している面「も」ある。学生でも、友達を失う、将来の進路がだめになるといったブレーカーがある。とにかく、法治国家において法が有効に機能するのは、社会的信用を失う危険が人を法に従わせているからなのだ。

社会的信用と言えば、その「無敵」感をほのかに感じさせるものを、僕自身味わったことがある。会社を辞めてフリーで仕事をする立場になったとき、車に乗っていて、若者にからまれたことがあった。向こうが無理な割り込みをしてきたのに無茶な因縁をつけられたのだが、会社員のころだったら、ここで何かあって新聞にでも載ったらまずいと思って適当に折れていたかもしれない。けれどもそういう形式的な守るべきものがなくなってしまっていた僕は、「無敵」感めいたものに動かされ、強硬に自分の正しさを主張した(相手が武器でももっていたらまずいので僕は車から降りなかったが)。そのあとは結局らちがあかなくなったので、「じゃあ警察に行って話をしよう」と言ったら、相手は何か後ろめたいことでもあるのか、あきらめて去っていった。腹いせに僕の車を蹴られたときはさすがに事をこじらせるべきでないと思って我慢した。

話を戻すと、今の社会では、そうした社会のシステムからとりこぼされた人が、行政からも冷たくされ、家族との関係も希薄なためにまったく孤立して日々を過ごしている。それでもかろうじて日々を過ごせるのは、人間関係がなくても生活できる基盤を社会が提供してしまっているからなのだ。たとえば昔の小さな村社会では、買い物をするにも近所の店の人と面識があって会話もあった。それが今の都会では、コンビニや大型スーパーなどで、まったく社会的な交わりがないまま買い物ができる。あげくのはては、ネットを利用すれば、買い物も、銀行振込も、各種チケットの入手もなんでもできる。文明社会の進歩と人口の集中が、はからずもかえって人を孤独にし、人の心を渇かせてしまったわけだろうか。

仕事の片手間に短時間で書いているので、なんかいつも中途半端に書き散らしただけの議論で終わってなさけない。

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